プランテーションの島ネグロス

フィリピンという国はいくつもの島で構成されていて、ネグロス島もその一つ。
世界でもプランテーションが残っている数少ない土地です。

一握りの大地主以外、一面に広がるさとうきび畑で働く人々は、どれだけ働いても収入が増えることはなく、生涯貧しい生活を強いられます。
そんなネグロスを訪れるために地元で車に乗せてもらおうと近づくと、なにやらガソリンを入れている様子。

聞いてみるとガソリンは高価なので、なにがしかの油を混ぜていると笑顔で答えられました。
冷房どころか窓ガラスさえない車で舗装されていない道を猛スピードで走る車。
水牛の背中に乗って遊ぶ子供たち。

いくら田舎に行ったとしても日本では見ることのできない風景に驚くばかりでしたが、同行した70歳をすぎたおばあちゃんはただひたすら「懐かしい」と言っていたのを覚えています。

日本しか見ていない私たちからすると、他国の日常は新鮮そのものです。
もちろん日本の生活様式に慣れ親しんでいますから、不便に感じる部分も多いのは確かですが、それを含めての新鮮さなので嫌な事ではありません。

便利すぎることに感謝していなかったり、必要の無い物に拘り続けることの愚かさを実感することの方が多いですね。
金持ち貧乏という言葉がありますが、十分な収入があるのに、借金の返済で四苦八苦している世帯は、きっと欲望が冷静な判断を鈍らせているとしか考えられません。

英語は時間をかければ誰でもできます

私は中学生のときから英語の勉強をスタートしましたが、テストでも高得点を取ることができ、特に苦手意識を持ったことはありませんでした。
しかし、留学に行くと決め、TOEFLを受験することになった際、大きな壁にぶち当たりました。
それはスピーキング力が全くないことに気づいたことです。
少しでも話すことに慣れるため、最近よく話題となっているSkypeを使ったフィリピン人との英会話レッスンを受講し始めました。
それからほぼ毎日25分間英会話をし、徐々に慣れることができました。
なんとか留学に必要なTOEFLの得点を取り、留学をしましたが、いざ現地に行くとさらなる壁にぶつかりました。
それは教授の話す言葉が全く分からなかったことです。
この状況を打開するために現地でもひたすら英語の勉強を続けました。
恥を忍んで、周りの友達にも積極的に話しかけに行きました。
そんな努力を重ね今では抵抗なく英語を話せるようになりました。
言語習得にはかなりの時間を要することがわかりました。
同時に、時間さえかければ習得は難しくないことにも気づきました。
英語を身に着けることの重要性は、個人で取れる情報量がかなり広がることだと思います。
日本は比較的いろんな情報が母国語で取れる国だとは思いますが、原文を読んでみるとまた違う見方ができたり、そもそも訳がおかしかったことに気づくこともあります。
また、まだまだ英語でしか世の中に出ていない文献や書籍は多々あります。
他にも、例えば日本で会う外人と少しコミュニケーションが取れるだけでお互いの意見交換ができ、またその外人から別の友人に輪が広がることも多いです。
他にも、海外旅行したときにその友人宅を訪れ、その土地のローカルな楽しみ方を教えてもらえたりします。
よって、英語学習は情報力に大きな差を生むものだと思います。

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