思いやりの精神

日本語は曖昧なことが多い。
やんわりとした言葉で、あとは文脈や雰囲気で察するということも多い。

外国の方が誤解をする有名な話だと、また今度、と言って別れると、今度とはいつのことだろうと疑問を持ったという話だ。

外国の方にとっては曖昧で分かりにくいところもあるかもしれないが、私はこのような日本語が好きだ。
相手のことを思いやる心から生まれた表現だからだ。思いやりの精神が好きだ。
この思いやりに日本人としての誇りを感じるのだ。

言葉は伝えるものだから、正しく伝わることが第一だ。
その点で、曖昧な日本語は嫌われやすいのかもしれない。

だが忘れてはいけないのは、人間とコミュニケーションをする道具が言葉であるということだ。
相手が人間である以上、その人を思いやる気持ちは忘れてはならない。

コミュニケーションの原点ではないだろうか。
だが、近年、自らコミュニケーション障害であると名乗る人がいて、対応に困ってしまうことがある。
単に人付き合いを避けるための言い訳として使われている気がしてならない。

確かに、今の世の中、極論すると1人で生きていける人はいるかもしれない。
最低限の他人との会話、例えば、インターネット上だけの付き合いなどで満足できる人も確かに存在する。
ところが、インターネット上で歪曲した付き合いもあることが問題になるのである。

相手の素性が見えないことのリスクは、知っておかなければならない。

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