「遊び中心」と「遊ぶだけ」の違い

息子の通う幼稚園の売りは遊び中心であること。
母親たちはそこが気に入って入園を決めた人がほとんどです。

しかし最近母親たちの間で、このままでいいのかという話が出始めています。
もちろん遊び中心とわかって入園させてはいるのですが、あまりにも「遊ぶだけ」なので今度は心配になってきたという訳です。

あるお母さんはお弁当のスプーンとフォークをおはしに変えるとか、つつみを巾着からハンカチにかえて結ぶ練習をさせるとか、せめてその位はして欲しいと直接お願いしたようです。
その甲斐あってか、来週から全員おはしを持ってくるように言われました。

もちろん親が教えるべき事柄ですが、幼稚園のお友達と一緒にやる方が断然覚えがいいので、園と家庭と両方で協力しながらやっていきたいというのが母親たちの本音のようです。
子育てに正解は無しと言いますが、一定の真理はあるように感じますね。

更には、どれだけ上手くいっている方法を見つけ出すかです。
我が子が出来ないのに、あの子は出来るからイライラする、ということでは発展がありませんので、工夫の仕方を学び取ることが親としては大事です。

我が子と他人の子を同じ土俵に乗せようとすると、随分と視野の狭い教育になります。
世の中広いのですから、独自の土俵を作り上げてやることの方が重要ではないかと思いますね。
比較は時として、子どもを傷つけます。

ひらがな

4歳の息子がやっと文字に興味を持ち始めました。
長男に比べると遅い方で、何度も何度も教えようとトライするんですがやる気がないと全然覚えてくれず。
やっと、やる気になったようで親としても一安心。

なやる気を見せないわが子が心配になり、幼稚園の先生に子どもがなかなか文字を覚えたがらないんですって相談しても、小学校に入ればお勉強することですし無理して覚えられることもないですよとかわされ。
確かにそうは思うのですが、あまりいろいろ勉強させていると小学校の授業がつまらなくて話を聞かなかったりする子どもも増えているとは聞いたりして、それでもひらがなを読めないとそもそも授業についていけないのでやっぱりひらがなだけはと思います。
早い時期にもじを認識できる子どもは、考える力がつくと何かで聞いたことがあります。
もじが読めれば、本を自分で読んで知識を深められるし、声に出して読むことは、脳の活性化にも良いようなのでやっぱりこれは頑張って覚えてもらわないといけないと思い。
遊び感覚で覚えられるように、もじのカードを作って挑戦中です。
そうしていて、改めて思うのがひらがなって紛らわしところが多くてけっこう難しなと思いました。
それでもなんだか頑張ってる次男でも、適当な次男はちょっと読めるようになったらそれで満足してしまい。
読めるもじだけ適当に読んで本を読めたつもりになっていて最近またやる気がなくなってきています。
この適当な感じは自分にそっくりすぎて強くは言えないんですが諦めず最後まで頑張ってもらいたいものです。

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