ポジティブ思考の生涯教育
現状をどのように捉えるかは人によって違う。
もう何歳、というか、まだ何歳というかで、意識は全く違ってくる。
もちろん、前者はネガティブな発想で、後者はポジティブな発想だ。
日本の平均寿命は延び、女性は86歳を超える。
男性も80歳に近い。このような日本の現状を考えると、まだ何歳、と言う方が似合っている。
人生80年。
何を始めるにも遅いということはないだろう。
何歳になっても、自分の健康の無理のないところで、勉強やスポーツに精を出す。
生涯学習という言葉は浸透しているが、本当に生まれた瞬間から最期の一瞬まで全てが勉強だ。
新しいことを覚えると脳が活性化する。
体を動かすと怪我をし難い体になる。
そのため私は、年齢を重ねた人にこそ、新しいことを始めてほしいと強く思う。
学校の勉強だけが学習ではない。
それは基礎であって、人は人と関わって生きていかなければならないし、それ自体が勉強になることもある。
得はあっても損はない、生涯学習。
少し、意識してみませんか。
ただ間違った考え方のお年よりもいることはいる。
例えば、道路の横断は、横断歩道をわざわざ避けて、道路を横切っていくことがあるが、自分で思う程、早くはないためドライバーにとっては邪魔で仕方がない。
こんな無謀な横断でも、事故を起こせば自動車側に非があるという判断をされるわけだ。
これはおかしな判定である。
自分の身体能力を過信して、子どもの手本にもならない道路の横断は、厳罰に処すべきである。
妹と22世紀
世紀末、という言葉を使わなくなってもう10年以上の年月が経過してしまいました。
今の若い子には実感がないかもしれませんが、かつて現在である21世紀を迎えるのは何か特別なことであるような気がしていたのです。
もちろんその最大の理由は新しい世紀を迎えるということ、が最大の理由ではあったのですが他にも大予言や2000年問題など新世紀を迎えるにあたって様々な憶測や問題があったものです。
結局まあご存知のようにそれらのような問題が何か起こることもなく無事に現在にまで西暦は続いているのは言うまでもありません。
ただ個人的に今でも腑に落ちないことが一つだけあります。
それは本当に個人的なことで、私の家族に関することなのです。
21世紀を迎えた当時、私はまだ高校生であり妹に関しては10歳程度でありました。
なので当時母に。「妹ならば22世紀まで生きているかもしれないね」と冗談交じりに言ったのですが何故か強く否定されてしまったのです。
確かに110歳まで生きるというのは非常に長生きではありますが、現在の例を見ても不可能な例ではありません。
ましてや将来ならば医療やアンチエイジングなどが発達しているだろうことは間違いなく、22世紀になろうという頃なら今よりももっと平均寿命が延びていることでしょう。
なのでそこまで強く否定されたのはショックではあったのですが、今では虫の居所が悪かったのだろうと考えています。
しかし22世紀どころか21世紀が四半世紀も過ぎてない今ですら再生医療の発達など目覚しい進歩が起きているのです。
これならばやはり我が妹には是非とも長生きして人生を謳歌してもらって22世紀まで生きていてほしいと思っています。