マネジメントの経験

私はサラリーマンです。
この春、リフォーム専門店の店長に抜擢されました。
入社10年目にしてやっと花が咲きました。

同期は既に店長として活躍していましたから、正直焦りもあったのですが、あきらめずに続けてきて良かったと思っています。
この地域はリフォーム専門店のオープンがあいついでいる激戦区です。

我社の戦略に則った立地条件を備え、集客数も見込めると判断した上のオープンですが、やはり他店に負けたくないので売上が心配です。
責任がかかっていますので、妥協せず粘り強く頑張りたいと思っています。

外観の工事も完了し、看板の設置が行われました。
ようやく店らしくなってきた感じです。

今日は建具やバス、トイレの搬入作業がありました。
木材やサッシ等の大型資材の搬入が今後も続きますから事故のないように細心の注意をはらって臨みます。
アルバイトやパート職員の面接も完了し、研修に入ります。

やる事は沢山ありますが、活気にあふれた社員が多く、みんなよくやってくれます。
チームワークを固めて良い店にしたいです。
良い店とは、自分たちがいかにお客さんの目線で店舗運営が出来るかどうかだと思っています。

接遇という言葉があり、スパルタなのか甘々なのかわからないような研修が、テレビなどで取沙汰されていますが、あんな風に作り笑顔をふりまかなければいけないのでしょうか。
良かれと思う人だけが契約すればいいだけですけどね。

マネジメントと言う言葉がむなしい

引きこもりの在宅の人間に「マネジメント」と言う言葉は酷である。
マネジメントとは私の解釈だと「色々なものを管理しながら未来に導くようにすること」だが他の在宅ワーカーには通用するとしても俺には通用しない気がする。

それはあまりにも自虐的ではないかと言われそうなので俺のマネジメントについて考える。
マネジメントするにはつまり金を稼ぐのがとにかく必要で俺が引きこもりの在宅人間になってるのはその理由である。
そしてマネジメントの本読むと自分の強みをとにかく活かせと書いてるが自分の強みとは一体何だ? あるかもしれないが一つの強みを突出して出しても受けが悪いと言うか無反応で俺はすごく弱気になりどうしようもないと考える。
だって必死にずっと自分の強みをアピールし続けたんですもの。
それで反応がない。
だからこう自虐的になりせめて「お金を稼ぐ」と言うマネジメントしかできない。
マネジメントについて書かれた本の作者は写真上でいつも微笑でるがその「お金を稼ぐ」以外の事もマネジメントできると言ってるはずだがもっと俺に合った具体的な方法を提示してくれよと思っても本の中の人物には結局無意味だ。
この世はニートと言う言葉があるがニートなりの事情があるし、引きこもりの在宅ワーカーもそうだし今の時代多いはずし、マネジメントの作者は未だに俺ら目線にたって話をしてくれない。
天皇陛下とかがただそこに来て顔を合わせて微笑むより、いや天皇陛下でもいいから俺のしたい事を使って欲しい。
そう言う風に俺はマネジメントと言う言葉がむなしく感じてるんだ。

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