娘の担任は20代の女の子
先日、私が夕食の支度をしている時、小学校3年生になる娘が突然「お母さん、これチョモラしていい?」と話しかけてきました。
手にはテーブルに置いてあった茹でたとうもろこし。
意味がわからずチョモラって何と聞きかえすと、なんと「ちょっともらう」ことだと言うのです。
学校で覚えてきたのは明白だったので、誰ちゃんがそんな事言っているの、と思わず言うと、学校の先生だと言うではありませんか。
毎日お昼の時間になると、担任の教師が余った給食を高く掲げて「はい、だれかチョモラする人!」と叫び、欲しい人は手を挙げるようになっているとのこと。
言われてみれば娘の担任はまだ20代の若い女の子。
抗議したいような、もはや仕方ないと諦めたいような、複雑な気持ちです。
が、どうも我慢ならなかった保護者の方がいたようで、この騒動は急速に収束していったのは、言うまでもありません。
やはり試験と教育実習程度で、いきなり「先生」という制度は、考え直してもらわなければならないですね。
人間的な成長途上であり、社会勉強不足の大学卒業したての経験不足が明らかな人物を、即戦力で使うというのは、どこの企業もやってないことです。
数年間の研修を経てから、各学校に赴任して欲しいところですね。
こういった時代に合わない、教職員の任用制度が、学級崩壊の一因でもあるのではないでしょうか。
幸い、教職を目指す人は、まだまだ多いようですが、逆に早々と見切りをつける人も多いようですね。
辛抱や努力では変えられない何かがある限り、結婚指輪を仕立てることも出来なくなるかもしれません。
先生もプライベートでは、カラコンを付けて闊歩したりするのでしょう。
小学生の頃の話
小学生のときにとる出席で、担任の先生が呼ぶ、「○○さん」の声に、生徒が「はい」と答えるあのくだり。
私の通っていた小学校では、「はい」のあとに、「元気です」とか「風邪気味です」とかの日々の体調を付け加えるのが慣わしだった。
つい先日、これが私の住んでいた地域の特色であったととあるサイトで知ったとき、ぼんやりと自分のアイデンティティーの末端を見た。
知らず知らずのうち、自分の中で当然だと認識していたことが、一部の地域性をもったものだと知ったとき。
ああ、これが井の中の蛙というものか、としみじみ思った。
と、いうのは大げさだ。
それほどでもない。
だが、まさか全国区の話ではないなんて思っても見なかったので、なんだが何十年も間違ったことを信じてきてしまった、というような妙な感覚になった。
けれども、私たちの慣習であった、あの体調報告制出欠確認は、実に素晴らしいものである。
先生が、子供たちの体調を、たとえ一端ながらも把握できるというのは合理的だ。
欠点としては、自己報告制なので嘘がつけるということである。
本当は体調不良なのに強がって元気な振りをするか、その逆もしかり。
だから結局は先生の観察眼に頼ることになるのである。
そんなこんなで全国区に広まっていないのだろうか。
それとも、昨今のプライバシーや個人情報にうるさい世の中では、こんな些細なものでも問題になるのだろうか。
そう言えば、私の子供の時分は、まだあんまり世間と親がうるさくなかったから、先生達も結構厳しかったなあと、思い出す。
一人の子を酷くからかったといって、クラスの何人かが並ばされて、先生から平手打ちを仲良くくらったこともあった。
でも、あれはそうされても仕方なかった。
悪いことをしたのだから。
今はそうもいかない。
と、随分脱線してしまったが、難しい世の中になってしまったものだと今更しみじみ思う。